

MEGURU FLUTE ACADEMY
フルート奏者 MEGURU の歩み
1986
出生:2週間早い、小さな産声
3月29日、愛知県名古屋市中村区生まれ。
予定日より2週間早く、黄疸がひどく入院するほど小さな赤ちゃんでした。
動物占いは「サル」ですが、
心の中には「どっしりとした頑固なゾウ」の気質を強く秘めた子どもでした。
静かで大人しそうに見えて、
内面には強い芯を
宿していました。

動物占い:猿
INTJ(建築家)
帝王学:人生の指針は絶え間ない
「改良改革」
・・・という私の誕生!
1991
幼稚園年長:厳格なお寺から、
泥だらけの園庭へ
愛知県一宮市へ引っ越し、
環境が激変します。
名古屋の厳格な幼稚園から、
超野放しのお寺の幼稚園へ。
毎日裸足で泥だらけになりながら、園庭を思いっきり駆けずり回っていました。
この自由な日々の中で、
身体が丈夫になり、
泥臭くたくましい生命力が
育まれました。

新築の実家にて、3歳下の妹と。
1996
小学4年:フルートとの勘違いな出会い
小学4年で入ったブラスバンド部で、
カビの匂いがする古いフルートに出会います。
息を吹き込んだ最初の一回で、偶然にも一発で綺麗な音を鳴らすことができました。
「フルートって簡単だ」という、私の人生を大きく変えることになる幸せなかんちがいの
はじまりです。

1999
中学2年:陰キャ全開な暗黒時代と、
コンクール
中学生は陰キャ全開。
アニメイトに通いclamp作品を読破し美術部のオタ友と過ごす一方、フルートのレッスンは
相変わらず続いていました。
自分の気持ちを言葉にするのが極端に苦手で、
レッスン中は
先生の前でずっと黙り込んで
いました。
心が恐怖でカチコチに固まっていても、
クソ真面目に練習した結果、
中学2年生で全日本学生音楽コンクール
名古屋大会で1位に。
陰キャが何かを成し遂げた年でした。

2002
高校2年:
消えた心と、1日5時間の猛練習
高校は音楽科へ進み、
再び同コンクールで1位に。
毎日何時間も練習し続ける
同級生と、楽器のうまさで
人間の価値を見定められているような
過酷な日々の中で、
"楽器がうまく吹けなければ、私には価値がない"
という極端な考えに陥っていました。
純粋に音を楽しむのではなく、
ただ誰かに勝つことだけが心の支えでした。

毎回演奏前は腹痛に襲われて
トイレにこもりっぱなしでした笑

高校1年生。
仲良し4人組でしたが
卒業したのは3人でした。。
2004
国立音楽大学:迷いと熱狂、そして一生の宝物
国立音大へ進学するも、
先生から 「君は普通だね」と言われ、
自信が 音を立てて崩れ落ちました。
楽器のうまさと自分の価値を重ねてしまい、
私がフルートを吹く意味って何だろうと
迷い続ける日々。
それでも、やっぱりフルートが好き。
誰よりも上手くなりたいという一心で
泥臭く駆け抜けた4年間でした。
そんな過酷な環境だったからこそ、
一緒に切磋琢磨した友人たちとの絆は
かけがえのないものになりました。
環境は変わっても、お互いを尊重し
旅行に行くような、一生大切にしたい
仲間ができたのもこの時期です。
もうひとつ、私の世界を変えたのが
学芸員資格の実習でした。
世界中の民族楽器に触れるなかで、
"場所が変われば価値観も変わる
自分の頭の中の常識を捨てなさい"
と言われ、
自分の生きている狭い世界の常識にとらわれていた
視野がパッと広がったのです。



卒業後も旅行に行ったり
コンサートしたり
今でも別々の地でそれぞれの道を歩んでいます。
2008
大学院・挫折:
動かない左手と、首席ニートの現実
大学院へ進んだ頃、
過度なプレッシャーから
左手が思い通りに動かなくなる
「ジストニア」を発症。
それでも意地で一番の成績で
大学院を出たものの、
プロオケのオーディションにも落ち続け、
首席卒業なのに仕事はゼロ。
コンビニバイトをしながら
薄利多売の音楽教室を掛け持ちする日々で
休みはないのにお金もない
フリーター生活が続きます。
忙しさでパニック発作も発症し、
どん底の二十代後半でした。
この「演奏できない身体」と
向き合った日々があったからこそ、
今の「体幹・呼吸・メンタルを整える」
というメソッドに繋がっています。
どん底は、私の指導の最大の武器となりました。

大学院の卒業演奏会には小学校の頃、
初めて習ったK先生も
聴きに来てくれました。
こんなに着飾ってますが
この時卒ニート確定でした笑
2012
結婚:役割を求めない
「不思議な人」との出会い。
結婚式には大学の同期が8人も駆けつけてくれて、フルートの 演奏でお祝いしてくれました。
音大時代に「一生の宝物」と 呼べる仲間が
できたことが 証明されたような、幸せな時間。
そして、夫との出会い。
彼は私に「楽器の上手い人」や
「妻」「母」という役割を
何ひとつ求めない、私からしたら
不思議な人でした。
「何者でもない私」を、そのまま
受け入れてくれる人に出会った 衝撃で、
結婚してしまいました(笑)
ありのままの自分を面白がって くれる存在に、
どれだけ救われたかわかりません。


いまだに私の何が良くて
一緒にいてくれるのか
よくわかっていません笑
2018〜
初めての出産:
2回目のどん底と、手放せな い薬
初めての出産と育児を経験する中で、産後うつが
ひどくなりました。
抗うつ薬や睡眠薬が手放せなくなり、
「なんで私はこんな風になってしまったんだろう」と、
暗闇の中で自問自答する時間が2年、3年と続いていました。
これが、私の人生における
2回目の大きなどん底でした。

コロナ禍で家に引きこもり
精神的に限界。目が死んでますね笑

生き物は大好き。
愛猫の保護猫サスケとは
生まれた時から一緒でした
娘との日々
娘の成長とともに心身が落ち着き、
独自の広い視野を持つ彼女から
多くを学びました。
わたしは"なにものでもない"よ。
将来はやさしいおとなになりたい。
と語る娘(6歳の時)。
人混みでパニックを起こした私に
心配だったらわたしの顔を見て。
手を握っていればいいよ
と手を握り、暗闇から
連れ戻してくれました。
「何者でもなくても愛される」という
娘の教えてくれた視点が、
今の私の指導の核です。
楽器が上手いかどうかを超えて、
その人自身の存在を信じ抜く——
そんな場所をここにつくりました。

4歳で初めての親子共演笑
一切緊張知らずで
私と正反対の性格の娘でした。

大阪万博では
葉加瀬太郎さんと共演。
2千人の前で堂々と演奏しました。
母もまだそんな広いコンサートホールで
吹いたことないぞ笑!
2021-現在歯列矯正の日々:
ワイヤーとの闘いが生んだ、
生徒への共感
コロナで仕事が減り、軽い気持ちで 始めた矯正が、まさかの泥沼に。
ワイヤーで楽器が吹けず絶望…!
歯科を4軒ハシゴする
「4thオピニオン」 を経て、やっと見つけた場所で調整中。
矯正中の生徒さんの苦労も
手に取るようにわかるようになりました。
ちなみに矯正で骨格がかなりすっきりして
顎専門の整体師さん曰く、
「骨格は中条あやみさん」
だそうです。
…あ、骨だけの話ですよ!(笑)

本番だけワイヤーを外しで
最高の音を求めていました。
矯正中は楽器が鳴らしにくく、
コンサートの度に
心理的なストレスも大きかった時期。
それでも、
プロとして妥協せず吹き続けました。
2024.10
起業塾・挑戦:
知らない世界へ飛び込む勇気、そしてダイビング
2024年10月、思い切って
起業塾に飛び込み、
仕事のつくり方を1から
学び直しました。
そこで本当にやりたかったことを見つけ始めます。
絶対に一生行かないと
思っていたダイビングに
半ば強制的に行かされ笑、
知らない環境に飛び込む楽しさに気づいたことも
大きな変化でした。

自分の上をマンタが通過していく。
人生で初めて見た深水15メートルの世界。
普段パソコンとフルートと楽譜と
睨めっこしていては
決して知ることがなかった世界。
2026現在これから:
命の時間をすり減らさない、新しい音の場所へ
ジストニアは今も完治していませんが、
それはもう私にとって問題ではありません。
私の今の目標は、大切な時間や体を削って
吹き続ける仕組みを変えること。
自分の音を愛せるようになる喜びを、
共に進む仲間と温かく分かち合える場所を。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 これからも、私の音と、言葉と、
物語を大切に紡いでいきます。
