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暇を埋めるだけの仕事で心身を壊した

  • 執筆者の写真: MEGURU
    MEGURU
  • 1月26日
  • 読了時間: 4分

20代後半。

私は、とにかく忙しかった。

 

結婚式の演奏、

 

レッスン、

 

赤字のコンサート。

 

 

でも、

まだ足りないと思っていました。

 

 

フルートのレッスンは、

 

学校や会社が終わった

夕方以降に需要がありました。

 

 

平日の昼間は

あまりレッスンの需要が

ありませんでした。

 

 

「昼間も働きたい」

 

 

 

そう思って、

幼児の音楽教育に

興味を持ちました。

 

 

幼児のレッスンなら、

午前中にも働ける。

 

とにかく、

仕事を増やしたかった。

 

 

リトミックの養成校を探しました。

 

 

名古屋の養成校が見つかりました。

 

 

自分の出身大学の方が

代表をしている学校でした。

 

 

費用は、

2年で50万円くらい。

 

 

月曜と木曜の午前中、

養成校に通うことにしました。

 

 

リトミックで学んだことは、

今までのフルートとは

全く違う視点でした。

 

 

フルートは、

「技術」「楽譜」「音程」。

 

 

リトミックは

「身体感覚+表現」。

 

 

音符の長さから

音のエネルギーを

身体で表現する。

 

 

 

2次元的な楽譜の情報から

音楽を立体的に捉える。

 

 

 

この学びは、

今でもとても役立っています。

 

 

 

MEGURU FLUTE ACADEMYの

有料講座でも、

この考え方を解説しています。

 

 

そして、

養成校のクラスの仲間は

幼稚園や保育園の先生など

 

異業種の人も多く

 

皆、優しかった。

 

 

誰かができなくても

皆でフォローし合う。

 

 

その姿が

私がいた世界と違った。

 

 

 

 

私は休まなかった。

 

 

 

 

休みは、ありませんでした。

 

 

 

 

なぜ「休まない」生活を

続けていたのか?

 

 

 

 

個人事業主なので

休んだら収入が

ありませんでした。

 

 

 

そして、

コンビニバイトしか

仕事がなかった時を

思い出すと

 

 

 

「音楽で仕事ができるだけマシ」

 

 

 

そう思っていました。

 

 

それに

他の同業者と比べて

 

 

「もっと忙しそうな人」と

常に自分を比較していました。

 

 

「まだまだ私は仕事が少ない」

 

「もっとやらなきゃ!」

 

 

そんな気持ちでした。

 

 

正直に言うと

「自分が何をしたいのか」

 

 

 

よく考えないまま

 

 

 

不安だからという理由で

自ら忙しくしていました。

 

 

 

そして

 

 

 

自分の身体の異変を

見過ごしてきました。

 

 

 

 

このときの私は、

自分の身体なんてどうでもよくて

 

 

とにかく忙しくさせて

 

「仕事がある」

 

 

という状態に

安心感を得ていました。


30歳ごろ。

 

 

結婚式の仕事中

チャペルの扉が閉まった瞬間

 

 

突然なんの前触れもなく

 

 

 

 

足元からサーッと

血の気が一気に引いて

ぶっ倒れそうになりました。

 

 

 

 

急に背筋が凍る感覚になり

 

動悸がし

 

何が起こったか

わかりませんでした。

 

 

まるで、

今から

バンジージャンプするかのような

足元のすくむ感じ。

 

 

動悸、腹痛。

 

 

 

しかし

もう演奏が始まるので

 

 

死にそうになりながら

なんとかこなしました。

 

 

これが3回連続で起こりました。

 

 

 

 

 

パニック発作

 

 

 

 

そう診断されました。

 

 

 

治療は、

抗不安薬を

頓服で飲むという感じでした。

 

 

 

それ以降、

同じようなシチュエーションで

 

 

 

ホールでの演奏で

閉塞感をいきなり感じ始めました。

 

 

 

抗不安薬なしでは

電車や地下鉄

 

美容院すら

行けなくなっていきました。

 

 

 

しかし

 

 

仕事は辞めるわけには

いきませんでした。

 

 

 

通勤が長く、

拘束時間が長い式場の仕事だけやめて

 

 

 

あとは薬を飲みながら

なんとか誤魔化していました。

 

 

 

正直

式場の仕事をやめる時は

ほっとしました。

 

 

 

それでも

レッスン業は忙しかったので

 

 

 

それほど収入ダウンには

なりませんでした。

 

 

夫は

何も言いませんでした。

 

 

 

振り返ってみると、

結局、

「自分が何をしたいのか」

 

 

よく考えないまま

 

 

 

不安だからという理由で

自ら忙しくし

 

 

自分の身体の異変を

見過ごしてきた

 

 

 

そのツケだったと思います。

 

 

 

忙しければ、安心。

 

 

「仕事がある」という状態が

 

自分の価値を証明してくれると

思っていました。

 

 

 

しかし

それは序章に過ぎず

 

 

自分自身をじわじわと

壊していました。

 

 

 

私は

そのサインを無視しました。


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