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首席で卒業したのにニートだった

  • 執筆者の写真: MEGURU
    MEGURU
  • 2025年12月29日
  • 読了時間: 3分

ジストニアになってから

皮肉なことに

 

今まで

「ノーミスでどんな難しい曲でも

完璧に吹ける私」

 

というものは

 

どこにも存在しなくなっていました。

 

 

大学院を休学しようか

迷いました。

 

 

しかし、

休学したところで

指が治るわけでもない。

 

 

だったら

このまま卒業しよう。

 

 

そう決めました。

 

 

D先生にも相談しました。

 

 

「ボクはそんな状態になったことがないから

 わからないな」

 

 

そう、一言で済まされました。

 

 

そんな絶望の中でも

 

音楽家専用の

ジストニアを治している

病院の先生を

探してくれた方がいました。

 

 

薬ではなく

リハビリで治すという方向で

決定しました。

 

 

その先生と出会うまでは

脳のMRIを撮ったり

筋弛緩剤を処方されて

 

 

鉛筆が持てなくなるほど

筋力が低下したこともありました。

 

 

 

皮肉なことに

 

私のジストニアは、

 

 

フルートを演奏する時だけ

症状が出る

 

 

 

という不思議な病気でした。

 

 

病院の先生が

教えてくれました。

 

 

「あなたのジストニアは、

 

 脳の神経回路をまた作り直せば

 

 ある程度回復できます」

 

 

その言葉を信じて

薬を飲まずに

練習でリハビリをすることにしました。

 

 

ジストニアを背負いながらも

 

大学院は首席で卒業できました。

 

 

 

「努力が認められた!」

 

 

 

そう思いました。

 

 

首席。

 

 

それは、

「一番優秀」

という証でした。

 

 

 

しかし

卒業した後

就職先はありませんでした。

 

 

プロオケのオーディションは

落ちました。

 

 

首席なのに

まさかのニートでした。

 

 

 

「首席」という肩書きに

何の意味があったのか。

 

 

「楽器が上手ければ、価値がある」

 

 

そう信じてきたのに、

その先に、

何もありませんでした。

 

 

 

中学の時から、

ずっと「技術」を磨いてきました。

 

 

 

「楽器がうまければ、価値がある」

 

 

そう信じて、

必死に練習してきました。

 

 

でも

必死に頑張った先にあったのは

 

動かない指。

 

 

そして

 

 

首席で卒業した先には

 

 

何もありませんでした。

 

 

 

もし今、

 

「もっと練習しなきゃ」

 

 

「もっと上手くならなきゃ」

 

 

「いい成績を取らなきゃ」

 

 

そう思って、

自分を追い込んでいる人がいたら

伝えたいことがあります。

 

 

技術を磨くことは、

大切です。

 

 

でも、

それが

「あなたの価値」ではありません。

 

 

首席を取っても、

就職先がないことだってあります。

 

 

コンクールで賞を取っても

オーディションに

落ちることだってあります。

 

 

 

「上手さ」や「肩書き」は

あなたの価値じゃない。

 

 

 

私は、

このことに気づくまでに

とても長い時間がかかりました。

 

 

 

体が壊れて

首席なのにニートになって

 

 

やっと

 

「何かが違う」

 

と思い始めました。

 

 

しかし

 

当時の私は

 

 

まだ答えを

見つけられていませんでした。

 

 

「技術=価値」じゃないなら

じゃあ、私の価値って何?

 

 

 

音楽家として生きていくって

どういうことなんだろう?

 

 

 

そんな問いを抱えながら

私はアルバイト生活を

送っていました。

 

 

 

次回から、

社会人編が始まります。

 

 

「首席なのにニート」だった私が

どうやって音楽家として

生きる道を見つけたのか。

 

 

 

そして、

「楽器のうまさ=価値」という呪いから、

どうやって解放されたのか。

 

 

その話を

書いていきます。

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