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MEGURU FLUTE ACADEMY
MEGURU FLUTE ACADEMY
暇を埋めるだけの仕事で心身を壊した
20代後半。 私は、とにかく忙しかった。 結婚式の演奏、 レッスン、 赤字のコンサート。 でも、 まだ足りないと思っていました。 フルートのレッスンは、 学校や会社が終わった 夕方以降に需要がありました。 平日の昼間は あまりレッスンの需要が ありませんでした。 「昼間も働きたい」 そう思って、 幼児の音楽教育に 興味を持ちました。 幼児のレッスンなら、 午前中にも働ける。 とにかく、 仕事を増やしたかった。 リトミックの養成校を探しました。 名古屋の養成校が見つかりました。 自分の出身大学の方が 代表をしている学校でした。 費用は、 2年で50万円くらい。 月曜と木曜の午前中、 養成校に通うことにしました。 リトミックで学んだことは、 今までのフルートとは 全く違う視点でした。 フルートは、 「技術」「楽譜」「音程」。 リトミックは 「身体感覚+表現」。 音符の長さから 音のエネルギーを 身体で表現する

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1月26日読了時間: 4分
1日働いて、ギャラが500円だった
大学院を卒業して、 私は 「首席なのにニート」 でした・・・。 プロオケのオーディションは、 落ちました。 大手音楽教室の採用試験も、 落ちました。 ある日、 大学院の掲示板に 音楽教室の求人が出ていました。 大手ではありませんでしたが、 縋るような気持ちで 応募しました。 採用されました。 音楽教室での仕事は、 生徒へのレッスンと、 発表会のサポートでした。 12月、 発表会がありました。 朝9時から夕方18時まで、 1日中、会場にいました。 生徒の演奏を聴いて、 サポートをして、 1日が終わりました。 後日 給料明細に 発表会報酬500円 と書いてありました。 え? 1日働いて 500円😱? 他の講師も 同じ500円でした。 「これが、音楽家の価値なのか?」 「私は、1日中働いて 500円の価値だったのか?」 絶望しました。 頑張って2年在籍しましたが 苦痛の方が大きくなり その教室を辞めました。 他にも、 いろんな仕事をしました。 結婚式場での演奏。 .

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2025年12月29日読了時間: 4分
首席で卒業したのにニートだった
ジストニアになってから 皮肉なことに 今まで 「ノーミスでどんな難しい曲でも 完璧に吹ける私」 というものは どこにも存在しなくなっていました。 大学院を休学しようか 迷いました。 しかし、 休学したところで 指が治るわけでもない。 だったら このまま卒業しよう。 そう決めました。 D先生にも相談しました。 「ボクはそんな状態になったことがないから わからないな」 そう、一言で済まされました。 そんな絶望の中でも 音楽家専用の ジストニアを治している 病院の先生を 探してくれた方がいました。 薬ではなく リハビリで治すという方向で 決定しました。 その先生と出会うまでは 脳のMRIを撮ったり 筋弛緩剤を処方されて 鉛筆が持てなくなるほど 筋力が低下したこともありました。 皮肉なことに 私のジストニアは、 フルートを演奏する時だけ 症状が出る という不思議な病気でした。 病院の先生が 教えてくれました

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2025年12月29日読了時間: 3分
自分の価値がわからなくなって、体が壊れた
評価なんて、 場所が変われば 人が変われば 簡単に変わってしまう。 大学4年、冬。 卒業試験の結果が出ました。 まあまあ、いい成績でした。 そして、 いくつかのコンサートへの推薦を いただきました。 「やった!」 そう思いました。 4年間、頑張ってきた成果が やっと出た。 そう感じていました。 しかし 推薦コンサートの説明会に行って 蓋を開けたら チケットノルマが 20万円分もありました。 え…😱? あまりにも高額で 言葉が出ませんでした。 説明会の後 事務の人に 「辞退って出来ますか?…」 と聞いてみました。 そしたら、こう言われました。 「このコンサートに出られるって とっても名誉なことなんだから、 辞退する人なんていませんよ。 チケットは頑張って捌いてください プロとしてやっていくなら これくらい売らないと 断れるわけもなく しかし 20万円分のチケットを 全額捌ける能力もなく 結局、 大

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2025年12月29日読了時間: 4分
自分の周りの世界の常識が、全てじゃない
自分が生きている世界が正しい。 自分の世界の価値観が正しい。 自分の世界の常識が正しい。 そう思って生きてきました。 大学4年、夏。 私は浜松の楽器博物館で 学芸員実習を受けていました。 10日間の実習。 フルートの練習から 少しだけ離れられる時間でした。 実習のある日。 民族楽器についてのレクチャーを 受けていた時のことです。 学芸員の先生が、 こう言いました。 「西洋の楽器は、 すべて平均律で調整されている。 長調と短調がある。 でも、民族楽器は違う。 多様な音階、 多様な音律がある。 西洋の平均律が 『普通』だと 思っているかもしれないが 民族楽器の世界では、 それは『非常識』なんだ。 自分がいる世界の常識が 場所を変えれば 文化が違えば それは【非常識】になる。 常にこのことを 頭に入れて学びなさい」 そして、 先生はこう続けました。 「自分の頭の中の常識を捨てなさい」 その瞬間、 衝撃を受けました。

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2025年12月27日読了時間: 4分
親友のEちゃんが藝大を辞めた
大学2年。 藝大に入った高校の同期、 Eちゃんと 連絡が取れなくなりました。 いつもメールや電話で 「親友」として気兼ねなく くだらない話で 何時間も盛り上がっていたのに。 ある日を界にメールも電話も 出てくれなくなった。 その年の秋頃。 国立音大の友人から 「Eちゃん、藝大辞めたらしいよ」 と聞きました。 え? 正直、驚きました。 あんなに自分で選んで、 東京藝大に入学したのに。 しばらくして、 Eちゃんと再会する 機会がありました。 「なんで辞めたの?」 そう聞くと、 Eちゃんはこう答えました。 「圧倒的な才能を目の前にして、 自分が藝大にいる意味が わからなくなった」 その言葉を聞いた瞬間 私も、同じだった。 そう思いました。 私も、大学に入って 「普通だね」と言われて 「楽器がうまくなければ 存在価値がない」 そう思い込んでいました。 Eちゃんも、 同じ呪いに 苦しんでいたんだと思います。 でも、 私は辞めませんでした。 なぜか? それは 「フルートしかない」状態から 少しだけ離れ

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2025年12月27日読了時間: 3分
私は、いつ「人間性」を失ったのか
今から振り返ると 【地獄の】アンサンブルの授業が 始まりました。 初めの頃は 和気あいあいと みんなが 仲良くやっていました。 グループ分けは 自主性に任されていました。 「じゃあ、4人ずつのグループを 作ってください」 教授がそう言って 私たちは自由にグループを組みました。 最初は、 誰と組んでも楽しかったのです。 しかし、 お互いの実力を知るうちに 空気が変わっていきました。 オーケストラの乗り番は 成績順。 コンクールの結果も みんなに丸わかり。 誰が何番の成績かなんて、 隠しようがありませんでした。 「○○ちゃんがいてよかった〜」 そんな声が聞こえる時もあれば 「あいつがいるから最悪だ」 そんな空気になる時もありました。 「はい、グループ組んで」 教授がそう言った瞬間 教室の空気が 変わるようになりました。 誰と組むか。 それは 「誰が吹けるか」 「誰が吹けないか」を 全員が知っているからです。 私は「吹ける側」にいました。 少なくとも、 そのつもりでした。 しかし常に不安でした。

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2025年12月27日読了時間: 4分
『君は、普通だね』と笑われた日
国立音楽大学フルート専攻。 同期は18人。 私のエチュードの進みは ダントツで1番でした。 高校時代からD先生の基礎練習を しっかりやってきた成果が 出ていたのだと思います。 でも、 入学して半年経った頃には 気づいていました。 私は、 普通なんだな。 飛び抜けて上手いわけでもない。 もちろん、 めちゃくちゃ下手でもない。 普通。 音楽の世界では、 「普通」は「凡人」と同じ意味です。 「才能がない」 「特別じゃない」 「プロにはなれない」 そういう意味なのです。 O先生は言いました。 「曲は自分で探して持ってきてね」 高校までは 「次はこの曲ね」 と言われていました。 D先生にしっかりついていくんだよ。 そう言われて 導かれるままに進んできました。 選択肢はありませんでした。 でも大学では違いました。 急に自主性を求められました。 困惑しました。 自分には今どの曲が必要なのか? テクニック? 音楽性? 何を基準に選べばいいのか わかりませんでした。 今振り返ると O先生は 「今の自分に足りない所を学べる曲を 自

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2025年12月26日読了時間: 3分
誰に習いたいか?を決められない世界
ジムに通うとき、 複数のトレーナーに教わるのは 普通のことです。 セカンドオピニオンを求めて 別の病院に行くのも 当たり前のことです。 音楽の世界では、 それがタブーでした。 先生を変える。 2人の先生に習う。 それだけで 「 裏切り 」と見なされる。 今考えると、 おかしいですよね。 しかしながら 当時の私は、 それが「普通」だと思っていました。 高校3年。 進路選択の時期が来た。 音楽科の上位の同期は東京芸大や桐朋。 愛知県立芸術大学を目指す子もいました。 国立に行けなければ 「負け組」 そんな空気がありました。 3年になると音楽科は さらにピリピリしていました。 D先生は言いました。 「君は東京へ行きなさい」 愛知にいても広がらない。 東京で学べ。 そう言われました。 D先生が同級生のフルートの 先生を紹介してくれました。 国立音楽大学のO先生です。 高校3年の時から月に1回 新幹線でレッスンに通うことになりました。 名古屋から東京の先生の自宅までまで 片道2時間半。 1時間のレッスンで日帰り

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2025年12月26日読了時間: 5分
【下手くそには人権がない】という「勘違い」が始まった
全国大会の会場は 大阪の「いずみホール」。 中学2年生の時 衝撃を受けた 「小山くん」がいました。 なんという巡り合わせでしょうか。 4年ぶりの再会です。 会話はしませんでした。 向こうはもしかしたら 私のことなんて 覚えていなかったかもしれません。 彼の印象は中学生の時とあまり 変わっていませんでした。 この全国大会で 私は特別な頭部管で 吹くことになりました。 D先生がご自身の頭部管を 貸してくれたのです。 14金のゴールド頭部管。 めちゃくちゃいい音で とても気分良く吹けました。 (あわよくば この頭部管をくれないかな) こっそりそう思っていましたが そううまくはいかず、 普通に返却しました笑。 課題曲はモーツァルトのフルート協奏曲 ニ長調の第1楽章。 古典派の曲が好きだったので 取り組みやすかったのと D先生の14金ゴールド頭部管のおかげで 本番、楽しく演奏できました。 満足のいく演奏でした。 「あの人」も 同じ曲を 吹いていました。 も

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2025年12月16日読了時間: 2分
ジムに通ってもフルートは上手くならなかった
高校2年の半ば。 Nさんが学校を辞めた。 「無関心の対象にされたくない」 私はこの1年、 必死で練習してきました。 高校に入って、 ムラマツから パウエルの総銀に変えました。 1年かけて、 ようやく楽器にも慣れてきました。 でも、1年生の時、 コンクールは本選で敗退しました。 楽器が重くて、 最後まで音が鳴らせなかった。 体力不足でした。 ちなみに当時の 私の担任の先生は 声楽科の先生でした。 東京芸大を卒業していて 40代でしたが めちゃくちゃスタイルが良かった。 ソルフェージュの授業で 歌を歌ってくれましたが べらぼうに上手かった。 当時、私の声楽のイメージは 「ぽっちゃりしてて 太ってるといい声が出る」 という単純なものでした。 でも先生を見て思いました。 別に太ってなくても いい声って出るんだ。 なんか、 体を鍛えてればいいのかな? 担任の先生も声楽専攻の友達も どうやらジムに通っているようだった。 そうか! ジムに通ったら、 楽器も上手くなるのか

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2025年12月16日読了時間: 3分
1日8時間練習の“常識”に感じた違和感
同じ学年でフルートに入学したのは 4人。 全員、 D先生の門下生でした。 私、 Eちゃん、 Nさん、 Sさん。 この4人で3年間を共にする。 そう思っていました。 レッスンが始まってすぐに 気づいたことがあります。 私のエチュードの進み具合が 他の3人と比べてとんでもなく速かったのです。 当時、 私は3年生の門下生と同じ エチュードをやっていました。 Eちゃんたちはまだ1年生レベル。 あれ? 私、いつの間に こんなに技術をつけていたんだろう? 自分でも不思議でした。 D先生にしっかりついていきなさいという N先生の教えを忠実に守った結果、 D先生には 「君は真面目に”クソ”がついてるな笑!」 と言われるようになりました😅 言われたことを素直にやる。 基礎練習を毎日欠かさない。 それだけのことでした。 でもD先生は相変わらず基礎に厳しく 私がどんなにエチュードを進めても 「まだまだ」 そう言われ続けました。

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2025年12月16日読了時間: 4分
音楽科は【階級社会】だった
推薦入試に合格して 憧れの音楽高校へ。 街宣車の軍歌を聞きながら過ごす 3年間が始まるとは この時は思いもしませんでしたが それよりも先に私を驚かせたのは、 入学式で出会った同級生たちでした。 ヴィトンのバッグ。 コテでぐるぐるに巻いて盛った茶髪の、 名古屋のお嬢様特有のヘアスタイル。 セーラー服から覗く ティファニーのオープンハート。 15歳の私が目にしたのは、 そんな同級生たちでした。 ああ、 音楽をやっている家庭は 育ちから違うのか・・・ 私は衝撃を受けました。 音楽科は1クラス40人全員が女子でした。 愛知、岐阜、三重。 この東海3県から 個性豊かな40人が集まっていました。 入学式の日 私が一番驚いたのは ピアノや弦楽器の子たちが すでに友達同士だった ということです。 「OO久しぶり〜!」 「また一緒だね!」 そんな会話があちこちで聞こえてきました。 幼少期からコンクールで 何度も顔を合わせていたから 当然と言えば当然ですよね。 で

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2025年12月16日読了時間: 3分
音楽高校に合格、新しい世界のはじまり
あっという間に時は過ぎ 高校の推薦入試当日を迎えました。 寒い2月。 高校の校門に着くと なんと 中学校の体育の熱血先生が 校門前に立っていました! 「おう! 当たって砕けて来い! 頑張って来いよ!」 ・・・・ 砕けちゃダメだろ・・・ と思いながら、 「…ありがとうございます」 と言って、 高校の門を潜りました。 試験会場に着きました。 控室は、 広い部屋でした。 グランドピアノが置いてあって、 半円状の音楽科専用の部屋。 推薦を受ける子たちが全員集められました。 もちろんフルート以外の楽器もいました。 特に、 バイオリンの子たちは フルートとは比べ物にならないくらいレベルが高く 同じ年齢なのに 控室で練習をしている音がまるで CDから聞こえてくる 音のように感じました。 正直ここでも楽器ごとのレベルの差を ひしひしと感じました。 実技試験はスケール(D-durとh-moll) エレジーの演奏でした。 我ながら高校入試で出された スケールの調を覚えている事にびっくりです😅笑 試験会場は舞台と同じ、 薄暗い暖色のライティングのちょっと

MEGURU
2025年12月6日読了時間: 3分


【初公開】私の時間の使い方
「MEGURUさんって、何してる人なんですか?」 「いつ、そんなにやる時間があるんですか?」 よく聞かれます。 だから今回 私のとある1日をYouTubeで全部 お見せすることにしました。 ▶︎ 動画を見る 朝7時40分から 夜23時半まで。 トレーニング 瞑想 フルート練習 レッスン ランニング 整体学、事務仕事… 私が何を考えて 何を大切にして どうやって音楽と生きているのか。 私の日常から、 感じてもらえたら嬉しいです。 でも、いつも私の発信に 触れてくれている、 あなただからこそ、 「ああ、だからMEGURUさんは あんなことを言ってたんだ」 「だからあの考え方なんだ」 そんな風に、 より深く理解してもらえるんじゃないかと 思っています。 身体を整えると、呼吸が変わる。 呼吸が変わると、音が変わる。 音が変わると、自分が変わる。 これは、私がいつも 伝えていることですが この動画を見ると その意味がもっと 腑に落ちるかもしれま

MEGURU
2025年12月6日読了時間: 2分
幸せが舞い落ちる受験曲
前回は ソルフェージュという 壁に挑んだ話をしました。 中3なのに、小学生と同じクラス。 でも、 コツコツと努力して 「大丈夫よ」と言われるまで成長できました。 さて、 音楽高校の推薦入試には 実技試験がありました。 D先生が選んだ受験曲は ドンジョン作曲 「エレジー」という曲でした。 ・・・またフランスものでした。 中2のコンクール本選で吹いた ノブロの「メロディー」もフランスのもの。 私、 フランス音楽と 相性悪いのかな… と思いました。 楽譜を開きました。 そして、 驚いたことがありました。 曲の冒頭に 詩が書いてあったんです。 フランス語の詩。 日本語訳も載っていました。 ・・・・ 黄昏の空中を 最後の木の葉が わだちへと舞い落ちていく 私の幸せも同じように! ・・・・・・ 幸せ舞い落ちちゃってるがな・・・・!! 正直、 フルートのレパートリーとしては とても有名な曲なんですが 当時受験生の私にとって いや、

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2025年12月6日読了時間: 3分
ほぼ0点から『大丈夫よ』と言われるまで
前回は、 次の師匠として D先生に出会った話をしました。 音楽高校を受験するには 実技以外に試験がめちゃくちゃ あるのです。。 まず「ソルフェージュ」。 ソルフェージュとは、 音を聴き取って 楽譜に起こすという試験です。 ピアノで和音を弾かれて、 その和音を聴き取って楽譜にする。 短旋律のメロディーを弾かれて、 それを楽譜に書く。 音楽の基礎能力を測る試験です。 さらに、 「新曲視唱」 という試験もありました。 ぱっと楽譜を渡されて、 30秒見る時間が与えられて、 「はい、どうぞ」 と言われて歌わなければいけない。 音痴で声の小さい私は 大の苦手でした。 さらにピアノの試験もありました。 幸い、 3歳から不真面目ながらも 続けていたので 課題曲は難なく弾けました。 でも、 大問題だったのが ソルフェージュ。 M高校音楽科のソルフェージュ試験は その辺の音大より難しい

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2025年12月5日読了時間: 4分
次の師匠は、プロオケの首席だった
前回は、 人生最高の演奏をして 1位になれなかった日の話をしました。 圧倒的な才能を前に 「行ってやるんだ」 と決めた日でした。 そんな目まぐるしくも 人生の転機となった 中2もあっという間に過ぎ 気づけば高校の進路選択を考える 時期になっていました。 新学期、 K先生が言いました。 「音楽科っていうのもあるよ」 音楽科? 私は、 それまで全然高校について知りませんでした。 「普通科に行ってレッスン続けてもいいし、 音楽科に進学して音大を目指すっていう方法もあるよ」 K先生は、 二つの選択肢を教えてくれました。 迷いはありませんでした。 コンクールで見た音楽の広い世界。 自分がいた狭い世界。 そして、 世の中にはすごい 才能を持った人たちがたくさんいるということを 目の当たりにして、 音楽の世界をもっと知りたい と思っていました。 迷わず音楽科を選択しました。 K先生は言いました。 「音楽高校を受験するなら、 その高校で教えている先生に レッスンを見てもらった方が

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2025年12月5日読了時間: 5分
人生最高の演奏をして、1位になれなかった日
前回は、今にも死にそうなメンタルで 本選を吹いた話をしました。 そして、 予想外の本選で1位通過。 全国大会を決めてしまいました。 ところが全国大会の課題曲の楽譜すら まだ買っていない状態でした。 なんでこんなに毎回 準備不足なんでしょうか笑 全国大会の課題曲は シュターミッツ作曲 「フルート協奏曲 ト長調 作品29 1楽章」 大急ぎで楽譜を買いに行き 譜読みをしました。 本選と打って変わって 古典派でした。 初めて 「この曲、楽しい!」 と思いました。 明るいト長調。 古典の分かりやすさ。 テクニックが 強化されていた私には 「古典派を 楽譜通り正確に吹く 」という 簡単そうで難しい部分が 人より向いていたのだと思います。 K先生は 音楽教室のレッスン時間だけじゃ とても足りない、と 私の実家近くで仕事をした帰りに 家に寄ってくださって 3時間。 時には、 K先生のご自宅まで 朝から行って夕方までレッスンでした。 「なんか本選の時と全然違うじ

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2025年12月5日読了時間: 5分
今にも死にそうなメンタルで吹いた、4分間
前回は、 口から心臓が出そうだった 予選当日の話をしましたね。 本選の課題曲は、 ノブロ作曲「メロディー」。 「フルート名曲31選」という、 フルート吹きなら1冊は持っている あの小品集の中の曲です。 ピアノ伴奏付きの、 オシャレなフランス音楽。 エチュードばかりやっていた私は、 曲を吹くこともほぼないまま ここまで来てしまいました。 全てがうまくいきませんでした。 フランスの作曲家で、 和声が繊細で切ない曲。 でも当時の私には、 この曲の 「切なさ」「哀愁」 「一瞬キラッと和声が変わって、また暗く沈む感じ」 が 全く理解できませんでした😭。 CDを買って聞いてみました。 ・・・ なんのインスピレーションも 沸きませんでした汗。 K先生には相変わらず 表現のなさを怒られながら、 楽譜が真っ黒になるまで 言われたことを書き続ける日々。 本選まで1ヶ月。 相変わらず、 ビブラートを気

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2025年12月5日読了時間: 4分
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