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音楽科は【階級社会】だった

  • 執筆者の写真: MEGURU
    MEGURU
  • 2025年12月16日
  • 読了時間: 3分

推薦入試に合格して 憧れの音楽高校へ。 

街宣車の軍歌を聞きながら過ごす 3年間が始まるとは この時は思いもしませんでしたが 


それよりも先に私を驚かせたのは、  入学式で出会った同級生たちでした。 

ヴィトンのバッグ。 コテでぐるぐるに巻いて盛った茶髪の、 名古屋のお嬢様特有のヘアスタイル。  

セーラー服から覗く ティファニーのオープンハート。 

 

15歳の私が目にしたのは、 そんな同級生たちでした。

 

 

 

ああ、 音楽をやっている家庭は 育ちから違うのか・・・

 

 

 

私は衝撃を受けました。

 

 

音楽科は1クラス40人全員が女子でした。  

愛知、岐阜、三重。 この東海3県から 個性豊かな40人が集まっていました。 


入学式の日 私が一番驚いたのは

 

ピアノや弦楽器の子たちが すでに友達同士だった ということです。

 

「OO久しぶり〜!」

 「また一緒だね!」

 

 

そんな会話があちこちで聞こえてきました。

 

 

幼少期からコンクールで 何度も顔を合わせていたから 当然と言えば当然ですよね。

 

 

でもその中で管楽器の私は 完全に『よそ者』でした。 

 

・・・輪の中に 入っていけない。 (まだ陰キャでした・・・)

 

 

 

音楽高校に来たのに、 最初に感じたのはそんな疎外感でした。

 

音楽科での生活が始まってすぐに 気づいたことがあります。 


ここには 

楽器の階級がある

 

 


弦楽器の子たちからは、

管楽器の身分で気軽に話しかけるんじゃないわよ」  という圧を感じました。  

言葉にはしませんが 空気でわかるのです。

 

 

ピアノは王様。 弦楽器は女王様。 

 

 

・・・

 

 

さしずめ管楽器は

『下僕』

ですか・・・。。

 

 

 

 

そう思わざるを得ない 雰囲気がありました。 

 

15歳の私は 楽器の階級というものを ひしひしと感じました。

 


そんな階級社会の音楽科でも 救いはありました。

 



管楽器組です。


 

管楽器の子たちの多くは 中学の部活で楽器を始めて 音楽科に進学してきた子でした。 


だから

いわゆる「普通の感覚」を 持っている子が多かったのです。 

 


ヴィトンもティファニーもなく 名古屋巻きでもなく 



普通に話せる。



普通に笑える。

 

 

 

それがどれだけ心強かったか。 

 

管楽器は下僕だったかもしれませんが笑 仲間はいました。

 

 

 

管楽器組の中でも 特に私と仲良くなったのが フルートのEちゃんでした。 


同じ学年で フルートに入学したのは 4人。 全員、 D先生の門下生でした。 

Eちゃんとは友達であり ライバルでもありました。  

一緒に練習し一緒にコンクールに挑み お互いを高め合う。

 

 

 

そんな関係でした。

 

 

ちなみに今でも 一番つながっているのは

このEちゃんです。  

Eちゃんは今

「古田土フルート工房」という フルートの特殊管製造で 世界一の技術を誇る工房で フルート制作をしています。


 

 

音楽科で出会った仲間は 今も私の人生に深く関わっているのです。

 

 

そんな階級社会の音楽科で 私は3年間を過ごすことになりました。 


この3年間で私は何を学び どう成長していくのか。

 

 

その物語は まだ始まったばかりでした。

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