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【下手くそには人権がない】という「勘違い」が始まった

  • 執筆者の写真: MEGURU
    MEGURU
  • 12月16日
  • 読了時間: 2分

全国大会の会場は 大阪の「いずみホール」。

 

中学2年生の時 衝撃を受けた 

「小山くん」がいました。

 

 

なんという巡り合わせでしょうか。

4年ぶりの再会です。

 

会話はしませんでした。

 

 

 

向こうはもしかしたら

私のことなんて

覚えていなかったかもしれません。

 

 

彼の印象は中学生の時とあまり

変わっていませんでした。

 

 

この全国大会で 

私は特別な頭部管で 吹くことになりました。

 

 

D先生がご自身の頭部管を 貸してくれたのです。

14金のゴールド頭部管。

 

 

めちゃくちゃいい音で

とても気分良く吹けました。

(あわよくば この頭部管をくれないかな)

 

こっそりそう思っていましたが

 

そううまくはいかず、 

普通に返却しました笑。

 

 

課題曲はモーツァルトのフルート協奏曲 ニ長調の第1楽章。

 

古典派の曲が好きだったので

取り組みやすかったのと

 

D先生の14金ゴールド頭部管のおかげで

本番、楽しく演奏できました。

 

 

満足のいく演奏でした。

 


「あの人」も 同じ曲を 吹いていました。


もう、 音から何から何までが別次元で、

聞いただけで 結果が丸わかり状態でした。

 

 

4年間練習してきたのに

圧倒的な実力の差は

全く縮まっていない。


 

全国大会は当時1位しか 発表されませんでした。


自分が何位だったかは わかりません。

 

 

結果を聞いた時の気持ちは 

「やっぱりな」 という感じでした。

 

でも、 学校に戻ると違いました。

同級生の態度が

明らかに変わっていました。

 

 

 

あれだけ楽器の階級社会があったのに。

 

ピアノは王様

弦楽器は女王様

管楽器は下僕だったはずなのに。

 

 


コンクールの評価で態度が変わる。

 

 

「上手なめぐるちゃん」

 

 

そんなイメージになっていました。

 



「無関心層」に落っこちなかった。

変な安心感がありました。

 

 

Nさんみたいに辞めることもなく

誰からも気にされなくなることもなく

私は"ここにいていい"。

 

 

そう思えました。

 

 

この頃からでしょうか。

 

 

楽器のうまさ=自分の存在価値

 

 

何か結果を出さないと

不安だったのです。

 

楽器が下手な自分は

価値がないんじゃないか。

 

そんな間違った自己肯定感が

育ち始めていました。 

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