top of page

ほぼ0点から『大丈夫よ』と言われるまで

  • 執筆者の写真: MEGURU
    MEGURU
  • 12月5日
  • 読了時間: 4分

前回は、 次の師匠として D先生に出会った話をしました。

 

音楽高校を受験するには

実技以外に試験がめちゃくちゃ

あるのです。。 

まず「ソルフェージュ」。

 

 

ソルフェージュとは、  音を聴き取って

楽譜に起こすという試験です。

 

ピアノで和音を弾かれて、

その和音を聴き取って楽譜にする。

 

短旋律のメロディーを弾かれて、

それを楽譜に書く。

 

 

 

音楽の基礎能力を測る試験です。

 

 

 

 

さらに、 「新曲視唱」

という試験もありました。

 

 

 

 

ぱっと楽譜を渡されて、  30秒見る時間が与えられて、 

 

 

 

「はい、どうぞ」 

 

 

 

 

と言われて歌わなければいけない。 

 

 

 

音痴で声の小さい私は  大の苦手でした。 

 

さらにピアノの試験もありました。

 

 

 

幸い、 3歳から不真面目ながらも 続けていたので 課題曲は難なく弾けました。 

 

でも、 大問題だったのが

ソルフェージュ。

 

 

 

 

M高校音楽科のソルフェージュ試験は

 

 

 

その辺の音大より難しい

 

 

 

と有名でした。 

 

ほぼ触れたことがなかった私は ソルフェ専門のコースに

通うことになりました。 

まず、

クラス分けのテストがありました。

 

 

 

 

問題用紙が配られました。 

 

 

 

「1問目は大譜表です」

 

 

 

 

・・・・ 

 

 

 

「ダ、ダイフヒョウ・・・・???」 

 

 

 

 

鉛筆を持ったまま五線譜を前に固まる私。 

「では、始めます。」

 

 

 

 

ピアノの音が鳴りました。

 

 

 

 

 

 

ジャーン。

 

 

 

 

 

 

え?

 

 

 

 

 

4つ同時に鳴ってる

・・・汗!!

 

 

 

 

 

な、何の音😭? 

 

 

全然わからない。。

 

 

 

2小節目。

 

 

 

ジャーン。

 

 

 

 

・・・わからない。

 

 

 

 

3小節目。

 

 

 

 

ジャーン。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 

わからない!!

 

 

 

 

 

結果、 ボロボロでした。

ほとんど0点に近かったです。 

 

テストの後、 ソルフェージュの先生に

別室に一人づつ呼ばれて

 

 

「あなたはこのクラスね」

という風にクラス分けをしていきました。 

私の番が来ました。  

先生は、 私の回答用紙と

私が書いた志望校の欄と 私の顔を交互に見ながら 

 

「〇〇高校音楽科ですか。 うーん笑 ・・・かなり頑張らないと厳しいかもね」

 

 

 

その一言が、 刺さりました。 

私は、 全日本学生音楽コンクールで

全国大会まで行きました。

 

 

 

フルートの実技には

自信がありました。 

 

 

でも、 ソルフェージュはまるでダメだったんです。 

クラス分けされた クラスは ほぼほぼ一番下のクラスでした。  

私は当時中3でしたが 同じクラスメイトは

小学生という状態でした。  

恥ずかしかったです。 

 

中3なのに、

小学生と同じクラス。 

 

 

でも、 やるしかありませんでした。 

 

 

 

ソルフェージュのレッスンは 週1回のペースで通いました。 

全然ついていけない自分。

 

 

 

もっと小さい頃から訓練されて バリバリ追い抜いていく小学生。

 

 

中3なのに、 小学生に負けている。

 

 

 

 

悔しかった。 

 

 

家に帰って、分からない所はもう 1回自分で弾いて

和音を聞き取る練習。 

そういう感じで

毎日コツコツ 練習しました。

 

 

 

 

でも、 この悔しさが 私を成長させました。 

 

 

受験までに、 ほぼ問題ない状態まで レベルアップできたと思います。 

 

最初は0点に近かったけど、 受験までには

自信が持てるようになりました。 

コツコツと 積み重ねる。

わからないことを

一つずつ潰していく。 

 

この経験は、後の私の音楽人生にも

活きていきました。  

いつの間にか

ソルフェの先生に 「あなたなら大丈夫よ」 と言われるまで成長できた。 

 

音楽高校への道は フルートが吹けるだけじゃ

ダメだった。

 

 

ソルフェージュという壁がありました。 

 

でも、 その壁を乗り越えて、

私は音楽高校受験に 挑むことができました。


最新記事

すべて表示
【下手くそには人権がない】という「勘違い」が始まった

全国大会の会場は 大阪の「いずみホール」。   中学2年生の時 衝撃を受けた  「小山くん」がいました。     なんという巡り合わせでしょうか。 4年ぶりの再会です。   会話はしませんでした。       向こうはもしかしたら 私のことなんて 覚えていなかったかもしれません。     彼の印象は中学生の時とあまり 変わっていませんでした。     この全国大会で  私は特別な頭部管で 吹くこと

 
 
 
ジムに通ってもフルートは上手くならなかった

高校2年の半ば。 Nさんが学校を辞めた。   「無関心の対象にされたくない」   私はこの1年、 必死で練習してきました。   高校に入って、 ムラマツから パウエルの総銀に変えました。   1年かけて、 ようやく楽器にも慣れてきました。   でも、1年生の時、 コンクールは本選で敗退しました。   楽器が重くて、 最後まで音が鳴らせなかった。   体力不足でした。   ちなみに当時の 私の

 
 
 
1日8時間練習の“常識”に感じた違和感

同じ学年でフルートに入学したのは 4人。 全員、 D先生の門下生でした。     私、 Eちゃん、 Nさん、 Sさん。 この4人で3年間を共にする。 そう思っていました。     レッスンが始まってすぐに 気づいたことがあります。       私のエチュードの進み具合が 他の3人と比べてとんでもなく速かったのです。         当時、 私は3年生の門下生と同じ エチュードをやっていました。  

 
 
 

コメント


bottom of page