人生最高の演奏をして、1位になれなかった日
- MEGURU

- 12月5日
- 読了時間: 5分
前回は、今にも死にそうなメンタルで
本選を吹いた話をしました。
そして、 予想外の本選で1位通過。
全国大会を決めてしまいました。
ところが全国大会の課題曲の楽譜すら まだ買っていない状態でした。
なんでこんなに毎回
準備不足なんでしょうか笑
全国大会の課題曲は シュターミッツ作曲 「フルート協奏曲 ト長調 作品29 1楽章」
大急ぎで楽譜を買いに行き 譜読みをしました。 本選と打って変わって
古典派でした。
初めて
「この曲、楽しい!」
と思いました。
明るいト長調。
古典の分かりやすさ。
テクニックが
強化されていた私には
「古典派を楽譜通り正確に吹く」という
簡単そうで難しい部分が
人より向いていたのだと思います。
K先生は 音楽教室のレッスン時間だけじゃ とても足りない、と
私の実家近くで仕事をした帰りに 家に寄ってくださって
3時間。
時には、 K先生のご自宅まで 朝から行って夕方までレッスンでした。
「なんか本選の時と全然違うじゃん笑。
この曲好きなの?」
K先生にも伴奏の先生にも言われるくらい ハマっていました。
初めて、 紀尾井ホールで吹くのが楽しみかも、
と思えました。
全国大会は前日入り。
早めにホテルにチェックインして
荷解きしていると
なんと 同じ階からシュターミッツを練習する音が…!!
そうです。
明日同じ舞台に立つライバルが練習していたのです。
母に
「あなたも練習すれば?」 と言われましたが
私は何を思ったのか、
「今更練習したって何も変わらないさ〜」
と答えてのんびりしていました。
あれだけメンタルが弱かったのに、
なぜそんなところで肝が据わっているのか…。
この1ヶ月で私の中で何があったのでしょうか笑。
翌日、 午前中にホールリハーサルがありました。
リハーサルにはK先生も
駆けつけてくれて
「本番は仕事で聴けないけどリハは聴くよ!」
と、立ち位置とか 音の飛び具合をチェックしてくれました。
めちゃくちゃ怖い先生だけど
たった30分ほどのリハーサルのために
東京まで駆けつけてくれる…。
生徒思いの先生でした。
紀尾井ホールは
名古屋のホールと違って
あまりにも大きくて、
シャンデリアがきらきら輝いていて
眩しすぎました。
楽屋はフルート部門は 女性用控室で全員が同じ楽屋でした。
高校生部門のフルートのお姉さん方は
常連同士なのか喋っていたり
私に 「どこから来たの?」
なんて話しかけてくれました。
大阪代表の中3の女の子は
流石大阪人らしく
大阪弁で気さくに
話しかけてくれました。
みんな陽キャだ・・・(心の声)
…きっとコンクールなんて
常連なんだろうな。
本番前に雑談できるメンタルに すっかり感心していました。
いよいよ私の出番。
さんざん付き合ってくれた
ピアニストさんとも
この曲は今日で最後。
名前を呼ばれて一歩舞台へ足を踏み入れた
時のことです。
舞台のライトが 一段明るくなったと同時に、
私の爆発しそうだった心拍数が
信じられない速度で低下しました。
そう、 この時私は何が起こったのか知りませんでしたが、
舞台の「ライト」という
環境的要因によって
「ゾーン」に入ったのです。
私のコツコツと歩く足音がホール全体に響く。
周りを見渡すとキラッキラのシャンデリアと
木製のホールが相まって
まるで
『西洋の宮殿の中』
にいるようでした。
チューニングをした「ラ」の音が
ホールに染み渡っていく。
なぜか残響まで把握できました。
カデンツァが終わって最後のTuttiに入るところで
「まだ終わりたくない」
と思いました。
この感覚は人生で2・3回あった中で
いちばんのゾーンに入った感覚で
後にも先にもここまで
全ての物事が把握できたのは
この時の私でした。
結果は、1位になれませんでした。
1位をとったのは、 現フィンランド放送響首席奏者の小山裕幾さん (当時中1)でした。
断トツの1位でした。
圧倒的な才能の差を
見せつけられました。
まるで
先生のお手本のような演奏。
全てが桁違いのテクニック表現力、曲の分析力。
ああ、世界は広い。
この「音楽」という世界を
もっとみたい。
どんなにすごい人たちが
いるんだろう。
私もそこに行きたい。
私もいけるんだろうか?
またこのホールで吹きたい。
私は、 愛知県のある市の 「家と学校」という世界しか知らなかった。
そこがどんなに
「狭い世界だったのか」を思い知らされた。
世の中には
圧倒的な才能を持った人がいる。
この、たった3ヶ月で体験した
人生初の「コンクール」は
私の今までの価値観を
ガラッと変えてしまった。
このままじゃ小山くんと
2度と会えない。
追いつくまで
もっともっとうまくなりたい。
この瞬間、 私はコンクールで
優勝できなかったことは
どうでもよくなっていた。
ものすごい才能を目の前にして
私もそこに行きたい!
いや、 行ってやるんだ!
と決めた。
客席で聴いていた母が
隣に座っていた人が
「なんて素直な音なのかしら」
と、 私の演奏を聴いて涙を拭っていた
と聞かされました。
ちょっと恥ずかしいやら嬉しいやらな気分でした。
・・・
非日常を体験して日常に戻った私は
相変わらず陰キャでした。
学校では、 勝手に中日新聞の
コンクールの記事の切り抜を
掲示板に貼られていて、
蛍光ペンで「おめでとう!」
とか書かれていて
先生にやめてくれと
言った気がします笑。
そんな目まぐるしくも人生の転機となった中2も
あっという間に過ぎ、
気づけば高校の進路選択を 考える時期になっていました。
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