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私は、いつ「人間性」を失ったのか

  • 執筆者の写真: MEGURU
    MEGURU
  • 2025年12月27日
  • 読了時間: 4分

今から振り返ると

【地獄の】アンサンブルの授業が


始まりました。



初めの頃は

和気あいあいと


みんなが

仲良くやっていました。



グループ分けは

自主性に任されていました。



「じゃあ、4人ずつのグループを

作ってください」


教授がそう言って


私たちは自由にグループを組みました。



最初は、

誰と組んでも楽しかったのです。



しかし、


お互いの実力を知るうちに

空気が変わっていきました。


オーケストラの乗り番は 成績順。



コンクールの結果も

みんなに丸わかり。



誰が何番の成績かなんて、

隠しようがありませんでした。


「○○ちゃんがいてよかった〜」


そんな声が聞こえる時もあれば


「あいつがいるから最悪だ」


そんな空気になる時もありました。



「はい、グループ組んで」


教授がそう言った瞬間


教室の空気が

変わるようになりました。


誰と組むか。



それは


「誰が吹けるか」


「誰が吹けないか」を


全員が知っているからです。



私は「吹ける側」にいました。


少なくとも、

そのつもりでした。




しかし常に不安でした。



私のいないところで


「あいつのフルートは...」と


言われていないだろうか。




私も、


「そっち側」に

なってしまうのではないか。



だから、

必死でした。



真面目に練習しました。

勉強もしました。


「吹けない子」にならないように。

「排除される側」にならないように。



そして気づいたら、

私は変わっていました。




高校の時

フルートの同期のNさんが

学校を辞めた時


私はすごく気になっていました。



Nさんは大丈夫だろうか。

あの後、どうしているんだろう。



でも、


クラスメイトのあっさりとした反応に

驚いていたのです。



そんな私は大学で

変わってしまった。


浮いたり排除される子に

何も感じなくなっていました。



高校の時のクラスメイトと、

同じになっていたのです。


「楽器が上手くなければ


意味がない」


そう思っていました。



そっち側じゃない」という


安心感で、



他人を気遣う余裕なんて

ありませんでした。


私は、いつの間にか


「あの時の自分」を


失っていました。



自分では気づいていませんでした。



楽器が上手ければ

性格が悪くても認められる世界。


個性が強すぎたり、


自分の意見をはっきり言う子は


「楽器が下手なくせに!」と


影で言われていました。



管楽器は3号館に

レッスン室や研究室がありました。


だいたい3号館に行けば

みんなに会えました。



そのうち


「吹けない子」は

2年、3年となるうちに


自然と大学から

遠ざかるようになりました。


誰も止めませんでした。



いや、

止める余裕がありませんでした。



みんな、

自分が「そっち側」にならないように


必死だったのです。



私もそうでした。



しかし

救いもありました。



学芸員課程を取っている

他の学部の子たちとの出会い。



ソルフェージュの授業で

一番上のクラスになり



作曲科やピアノ科の

上位クラスの同期と

一緒に授業を受けていたこと。


管楽器でただ一人 そのクラスに入っていました。



フルート18人の世界「以外」の

世界がありました。


普段は接点がない学部の人たち。



彼らと一緒にいる時間は、

「自分の無知」を知る

良い経験になっていました。



そして、

この「フルート18人の世界」から


少し距離を置くことが

できていました。



しかしながら


完全には逃げられませんでした。



常に不安でした。


「普通だね」と言われ続けている私。



「このままでは、

いつか『そっち側』に

なってしまうのではないか」



そんな恐怖が

ずっとありました。



そして今

振り返って思います。


あの時 私は何を失ったのか。



私は

排除される子に

何も感じなくなっていました。


「楽器のうまさ=存在価値」


この思い込みは



私から「人間性」を

奪っていったのです。




当時の私は

それに気づいていませんでした。



そしてこの地獄は

この後


私の人生のもっと深い場所で

影響を与えることになります。


それは

卒業後の話です。

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