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音楽高校に合格、新しい世界のはじまり

  • 執筆者の写真: MEGURU
    MEGURU
  • 12月6日
  • 読了時間: 3分

あっという間に時は過ぎ 高校の推薦入試当日を迎えました。

寒い2月。

高校の校門に着くと

なんと 中学校の体育の熱血先生が 校門前に立っていました!



「おう! 当たって砕けて来い!

頑張って来いよ!」




・・・・




砕けちゃダメだろ・・・




と思いながら、

「…ありがとうございます」

と言って、 高校の門を潜りました。



試験会場に着きました。 控室は、 広い部屋でした。


グランドピアノが置いてあって、  半円状の音楽科専用の部屋。



推薦を受ける子たちが全員集められました。

もちろんフルート以外の楽器もいました。

特に、 バイオリンの子たちは フルートとは比べ物にならないくらいレベルが高く


同じ年齢なのに

控室で練習をしている音がまるで CDから聞こえてくる

音のように感じました。



正直ここでも楽器ごとのレベルの差を ひしひしと感じました。


実技試験はスケール(D-durとh-moll) エレジーの演奏でした。 我ながら高校入試で出された スケールの調を覚えている事にびっくりです😅笑


試験会場は舞台と同じ、 薄暗い暖色のライティングのちょっと広めの部屋。

音楽科の先生たちが目の前にいて 一人ずつ呼ばれて演奏するという形でした。


やっぱり めちゃくちゃ緊張して (もはやいつもの事笑)


なんとか吹ききったものの 吹き終わった後

「・・・やっぱり落ちたわ」


と思っていました。



ソルフェージュに関しては めちゃくちゃ勉強した甲斐もあり

ほぼほぼ自信がありました。

突然、試験中に外から「軍歌」が流れてきて ソルフェの試験がちょっと中断する事件がありましたw


そう、私の高校は 名古屋刑務所の目と鼻の先だったのです。



面接もありました。

「尊敬しているフルーティストはいますか?」

と聞かれて

「パユです」

と答えた記憶があります。 (当時生で聴いたことのある著名人がパユしかいなかったので・・)


合格発表は 後日学校に張り出される形でした。


長いロール紙を持った高校の先生たちが 順番にベニヤ板に受験番号が載った紙を貼っていくという 懐かしのスタイルです。

合格を知った瞬間とても嬉しかったです。

D先生に早速報告して 先生はおそらく結果はもう知っていたと思います。

「おめでとう。 これから頑張ってね」

みたいな感じだったと思います。



K先生もとても喜んでくれました。 K先生に言われた印象的な言葉は

「これから3年間しっかりD先生についていくんだよ」


という言葉でした。



脇道を逸れてはいけないんだな。 D先生以外の先生に浮気せずに、 まっすぐ

3年間ついていこうと思いました。


音楽高校への道。

小学4年生で リコーダーでオーディションに受かって



小学6年生でK先生に出会って 中学2年生でコンクールで全国大会まで行って 中学3年生で音楽高校を目指すことを決めて


ソルフェージュという壁を乗り越えてそして

音楽高校に合格しました。


振り返ればこの道のりは 決して平坦では ありませんでした。




でも、 一つ一つの壁を乗り越えるたびに 少しづつ私は成長していたのです。


その後の3年間は 街宣車から流れる「軍歌」を

度々聞きながら過ごすことになるのでした。 P.S.  

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